スピリチュアルな世界とは?

                       



最近よく耳にするスピリチュアルな世界とは一体なんでしょう?
「スピリチュアル」という言葉は、何だか神聖な特別なもののように受け取られがちですが
本当はスピリチュアルな世界に生きていない人は誰もいないのです。



私たちは、色々なことを考え、色々なことを信じています。
そして、それを形にしたものが目に見えるもの、物質であったり、建物であったり、町であったりします。更に、行動に移したものがライフスタイルとなっています。
つまりどんな人も生きていく上で自分なりの「意識」を形にしているのです。



平易な言い方をすると、スピリチュアルな世界とは、私たちが物質世界を作り出す元となる「意識」のことを指しています。目に見えない思考とでもいえばいいのでしょうか。
‘私’という存在に注目してみるといくらか分かりやすいと思いますが、‘私’が「ご飯を食べよう」と思ってご飯を食べる、「電話をしよう」と思って電話をかける、「犬が怖い」と思って犬に近づかない、というように、‘私’の「」という意識が、目に見える行為として表現されていくことが分かります。
更に、様々な意識を生み出す大元の‘私’に注目してみましょう。
‘私’は「身体」を持ってこの世界に現れています。
魂という言葉が肉体を動かすスピリットとして表現されることがありますが、‘私’自身を一つの大きな意識として捉えることができるでしょう。



私たちの世界を形作るこの「意識」ですが、意識という言葉自体には、良い意識・悪い意識の区別がないように、スピリチュアルな世界も全ての意識を包括しています。
それではなぜスピリチュアルという言葉が崇高なものだけを意味するかのように響くのかというと、人間の意識に目を向けて、自分たちの意識がどのように具現化されていくかのプロセスを観察し続けると、その道の多くが、私たち一人一人の中に、思い通りの現実を創り出す力があるということ、つまり私たち自身が「神聖な存在であること」(神という言葉を、私たちが創造する人生において多大な影響を持つ力と定義するならば)を思い起こさせるからだと思います。



私たちが、どのように望む現実を作るか、どのようになりたい自分になるのかを説く書物やセミナーはたくさんあります。学校教育に始まり、マネー、仕事力や恋愛、おしゃれ等について述べられるハウツーは、基本的にどこにどのように自分の「意識」を向けて、いかに効率よく望むものを形作るかの学習に役立てられます。



もちろん、宗教も同じです。この世界の成り立ちを問い、いかに生きるべきかを、世界を構成する「意識」を追求して語られるものの一つが宗教です。
けれども多くの宗教家が陥りやすい盲点は、自由自在に望むものを形にすることができるようになった指導者(または追随者)が、自分の通ってきた道を唯一の道として掲げてしまうことにあるようです。



現在スピリチュアルなことに関心を持つ多くの人が、「この世界は時間や空間をも含む一つの大きな意識から成り立ち、私たちはそれぞれその意識の一部であり、また全てでもある」と述べています。
この話はとても感覚的なものですが、これを前提に世界を見てみると、古くから言われている「自分のして欲しいように相手にしてあげなさい」「自分のした行いが自分に返る」というような言葉の意味がよくわかります。
私たちは深いレベルにおいて、自己=他者なのです。
しかし「自己=他者=愛」の世界は、防衛や攻撃、コントロールや競争をしなければ生き残れないという思いを信じると、その具現化が阻まれてしまいます。
注目してみると、これらの思いは「私たちはバラバラであるという分離感」から生み出されていることがわかります。
なぜなら、もし私たちが一つであるならば、誰が自分を攻撃するのでしょう。そこには自分しかいないのです。そして一つである自分を慈しめるのは誰でしょう。それも自分です。
また、もともと一つであるものの側面に優劣をつけたり、別の側面との同一化を求めるのもおかしな話です。(私たちの身体の目と口のどちらが優れているかを論じたり、両方とも目や口になるように変える必要があるでしょうか)
更に、もし一つのものがバラバラに見えるとしたら、その色々な側面に視点を当てている自分がいるからそう見える、ということができます。(つまり自分がどこに意識を向けるかによって、目の前に現れる景色が変わってくる=自分が見る世界は自分で創り出している、ということになります)

少々ややこしく感じられるかもしれませんが、ではバラバラに見える世界の中で、私たち一人一人の中にある「全てと一体である意識」に再び目を向けて、恐れや罪悪感を手放していくとどうなるでしょう。そうすると、「自分を愛し尊重する=他の人を愛し尊重する」という世界が現実にも現れてくるのではないでしょうか。
このような話を踏まえると、精神世界に興味を持つ人たちが、自分の内面を見つめたり他の人をサポートするために、セラピーやヒーリング(癒し)等に関わり始めることが多いのも自然な流れとして見ることができると思います。



スピリチュアルな道を意識的に歩き始めると、私たちは折々に必要な情報、出来事に出会いながら「自分が誰であるのか、どこから来たのか、世界がどの様に成り立っているのか」という理解を深めていきますが、これらは個々人のペースで起きることなので、そのプロセスはとても独特なものになるかもしれません。
また、目に見えない世界に意識を向けていくと、五感を超えた感覚が開かれることも多いようです。

※もしその過程で、多くの人が不可能だと思っていることを目の前で見せてくれる人に出会ったとしても、その人たちが私たちより優れているわけではありません。びっくりするようなことができる人物は、私たちも彼らと同じだけの創造性を持っていることを教えてくれるのだという意識を持つと、更にそこからクリエイティブな世界が拡がっていくでしょう。

※また、スピリチュアルなことに関心がない人も、関心のある人より劣っているわけではありません。意識しなくても誰もがとてもスピリチュアルな人間で、とてもユニークな創造の道を歩んでいるのです。目的地にどれだけの時間をかけて、どのような道を通って辿りつくかは一人一人の自由意志による選択である、という理解が大切になってくると思われます。


現在多くの人々がスピリチュアルなものに自然に惹かれ始めています。
私はこの流れが、私たち一人一人の選択によって作られる地球の未来にも反映されていくのだろうと感じています。



戻るホームへ

Copyright (c) 2008 Shino All Rights Reserved.