“養子縁組” 血のつながらない子供を育てることについて……エクトンとの対話より 

今回は “養子縁組” について、ノンフィジカルパーソナリティのエクトンとの対話の記事になります(2025年にリライトしました)。 

私が “養子” というものに関心を持つに至ったのは、大きく三つの過程があります。

ひとつ目は、学生の頃に遡ります。
人間の性格や生き様が先天的なものか後天的なものかどうかについては、いろいろな見解がありますが、“血” というものが簡単に差別や戦争に利用されていることに目が向きました。

二つ目は、二十代中頃にアメリカを訪れる機会が何度もあり、そこで肌の色が違う子供を育てている人たちを目にしたり、養子についての話を耳にしたりしたことです。
(もちろん、養子を育てる、養子として育てられる背景にはいろいろな事情があるとは思いますが、その言葉が前よりも身近なものとなりました)

三つ目は、家族というものに目を向けると、そこで起きる問題の多くに「血がつながっているのに分かり合えない」という葛藤があるように感じることです。
家族というものは、さまざまな約束で集まったグループのように思えたり、特定のメンバーとの絆を強く感じたり、そうでなかったりすることもあるかもしれませんが、関係はその家族の数だけ千差万別で、一括りにはできないものでもあるように思います。

そして、おそらく多くの人が感じていらっしゃるように、「関係は血がつながっていればうまくいくとは限らない(逆もまた然り)」だと思うのですが、「血がつながっていれば分かり合えるはずだ(同じ考えを抱くものだ)」という過度の期待を持つことによって「相手が本当に何を考えているか、何を望んでいるか知ろう」というコミュニケーションを怠ってしまい、それによって起こる問題も多々あると感じます。

このようなことを考えながら「血のつながらない子供を育てるということに(性格的な相性のようなものは、肉親でもいろいろあると思いますが)全般的に特別な困難があるのかどうか、肉体を持たない存在(エクトン)だったら何と言うかな」と思って尋ねてみました。
(2013年秋に受けた個人セッションより。訳は私です)


— Shino —
大学生の頃から、“養子縁組” について関心があります。
時折、私は人々があまりにも “血” を気にかけて、戦争や差別をするように思います。
私はあまり “血” というものに重きを置かなくなりました。
私は私の(血のつながった)家族を愛し、彼らに感謝をしていますが、大切なのは精神的な絆や相性だと感じています。

そして、もしも私たちがあまり “血” に重きを置かなければ、子どもが欲しい人たちと親のいない子どもたちが出会う機会が増えるのではないかと思います。
もちろん、それにはたくさんのケースがあると思いますが、このことに関してあなた(エクトン)からコメントをいただけたらと思います。
あなた(エクトン)は本当の両親が子どもを育てることが、とても重要で意味のあることだと思いますか?
 
 
— エクトン —
このことに関して唯一大事なのは、その子供(養子)の血縁の人々の医学的な歴史の認識を持つということです。
なぜなら、それによってその子供が考慮しなければいけない病気の歴史や、両親や先祖に関連するほかの肉体的な問題があるかどうかを知るからです。

そのほかには(血がつながっている人が子供を育てることに)何の利点もありません。
私のポイントがわかりますか?

— Shino — はい。

— エクトン —
まったく利点はないのです。
養子縁組は、血がつながった子供を産むことができなかったりそれを望まなかったりする人々が子どもに家を提供して子どものエネルギーを “今” に持たせるための、とてもとても素晴らしい機会です。

それでは、もしも子どもが養子に出されて医学的な歴史を持たない場合ですが、それはその子がひどいことになるということでしょうか?
いいえ!
それはただ、ひょっとしたらチャレンジが追加されるかもしれないということです。
それがすべてです。
それだけです。
それが私の意見です。

— Shino — ありがとう。

— エクトン —
どういたしまして。
私たちはこの世界でもっともっとたくさんの養子縁組を見たいです。
Shinoさん、たくさんの望まれない子供たちがいます。
たくさんの望まれない子供たちが世界中にいます。
そして養子縁組によってそれが解決できるでしょう。
わかりましたか?

— Shino — ありがとう。エクトン。

— エクトン — どういたしまして。


ということでした。
もちろん個人的には、「もしも生んでみて育てられなければ、ほかの人に育ててもらえばいい」くらいの軽い気持ちで大切なひとつの命をこの世界に招くのであれば、それは無責任だと思いますし、それ相応の覚悟を持って子供ができるだけ安定した環境で育つことができるように配慮するのが親としての役目だとも思います。

けれども、何らかの事情でどうしても育てられない小さな命があるならば、「子供が欲しい。子供を育てたい。家族として子供と一緒に暮らしたい」という思いのある人とその子供が一緒に暮らすという選択も、またひとつの家族のあり方になるのではないかとも思います。

(ただ、このような考えを「血のつながらない子供はまったく考えられない」という方に無理にお勧めしようとはもちろん思いませんし、「養子をもらってでも誰もが子供を育てなければいけない」という方向に話を進めようという意図もありません)

“養子” に関してご興味のある方のお役に少しでも立ちましたら幸いです。


英語の音声ファイルもございます! ↓

Talking about “adoption” with Ecton【“養子縁組” について……エクトンとの対話(英語音声)】

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(最終更新日:2025-08-25)